今日、11月3日は彩社会福祉士事務所の設立記念日です。2周年。2017年の一粒万倍日(始めたことが、大きく実る日。ひとつぶの稲穂が万倍に増える。)おかげさまで、万倍に楽しい日々を送っています。
この2年間、私は様々な「障害当事者」の方と一緒に講演活動をさせてもらう機会に恵まれました。前職のころは主に知的障害の方とのかかわりだけだったのですが、身体障害のある方、精神障害のある方にも広がりました。それは、偶然だけではなく、意図的に様々な研修の企画の段階で、私個人に来た講演依頼でも、内容を考えて可能な範囲で障害当事者の方に登壇してもらえるようにしていました。
その理由は、私自身がその方が心強かったからです。当事者の存在の強さ。私ひとりが伝えるより何倍も伝わります。ただ、当事者の方は「伝える」専門家ではないので、その言葉や表現は受け取る人の「感性」にゆだねられるところがあります。どんな講演でも、最終的には伝える側と聞く側「伝える力」と「感じ取る力」が生み出す化学反応のようなもので、その時間がよい学びの空間&時間になるかどうかは変わりますが、私は、当事者の方の表現と、受け止める人の感性がよりよく融合するような「つなぎ役」「触媒」のような仕事をさせてもらっているのだと感じるようになりました。
このタイミングで、先日の大津圏域合同新人研修で報告してくださった当事者の方の10年以上前の高等部時代の学校の先生が、私の投稿を見て連絡をくださいました。そのことで、私は、自分がしている活動のもうひとつの意味に気づかせてもらいました。
“今、この時”の場づくりを「人生の横軸のつながり」とするのであれば、学校時代の先生とのつながりは「人生の縦軸のつながり」です。
障害のある人の支援は、すぐに答えが出るものではありません。障害のある人に限らず、対人援助職と言われる私たちの仕事は、「こう支援したから、こうなりました。」と、1+1=2のように、わかりやすい答えがすぐに出るものではありません。短期的な結果を求める風潮が強い社会の中で、「それをしたらどうなるの?」と問われても、「今すぐにどうなるかはわからんけど、大切なことやねん。」と言いたいことがたくさんあります。
報告してくださった障害のある方の養護学校時代の先生の教育実践は、障害の自己理解を深めるものでした。「障害者ってなあに?」というテーマで授業に取り組み、「みんな、それぞれ困ることや悲しいことや色々あって、どうにもならないこともあるけれど、みんな同じ人間で、認め合えるのだということ」「理不尽な悲しいことがあれば、そんな社会はみんなで変えていくべきだということ」「自分の障害と向き合った上で“わかったぞ!でも、なんてことないぞ。人生は楽しいぞ”と思って卒業からの長い人生を歩いていってほしい」という思いからなされたものでした。
でも、それが、例えば、卒業時にいい就職先につながるとか、お金が稼げるとかそういうことにはつながりません。「高校3年間」という短期的なモノサシで見たら、まだまだ見えないことが多いです。
先生の教育実践が生きてくるのはそこからなのです。先生の「必要なことは助けてもらう、それでいい、やりたいこと、できることはチャレンジする。」そんな人生を送ってほしいという願いは、ちゃんと彼女の中に残っていて、彼女は自分のしたいことをあきらめず、他者を味方にして、チャレンジし続けてます。そして、先生の思いを引き継いだ成人期の支援をする通所施設の職員も、相談にのる相談支援専門員も、ヘルパーも、さまざまな人が、彼女とともに、彼女の人生を紡ぎだしています。
私たちの仕事は息の長い仕事です。時には、「あの時かかわったあの人は今どうしているのだろう?」とわからないこともあります。どこかで生きていてほしいと願うような時もあります。その息の長い仕事が、本人を中心にして、お互いには顔も見たことのない人たち同士の間で引き継がれ続いていること、そのこと自体に価値があるのだと思います。それは奇跡のような気すらします。
私は、彩社会福祉士事務所の仕事は、こういう縦のつながりも作りながら、“すぐには結果が見えないように感じてしまうこともあるこの仕事”をする、時には顔も見たことがないような仲間に「あなたの仕事はこんなにすごい!」と伝えることでもあるのではないかと思いました。そして、その仲間が自分の仕事に誇りをもって元気になっていく。そういう場やきっかけを作っていくことにあるのではないかと思いました。
人生の横軸と縦軸。私自身が今は自分で直接援助をしていないことに、少なからず後ろめたさを感じることがありましたが、私だからできる役割があるんだと思います。そう思って、彩社会福祉士事務所は明日から3年目に入っていこうと思います。
3周年は、なにかおもしろい研修会でもしようかな。
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